薄羽カゲロウ日記(師走二十二日)

h-imagine19722009-12-22

 あくまでも仮説なのですが、人間年をとつてくると身近なものごとから先に忘れていくものではないでしようか。私は七年前、六歳上の係長と「三十五歳記憶力限界説は本当か嘘か」で言い争つたことがあります。私の見解としては、人間三十五になると子供が思春期になり会社の知り合いもたくさんでき、そういつた業務以外の雑事に気をとられるから、自然業務の事務処理能力が衰えるのだ、と勝手に考えていました。もっとも、独りよがりでは困ると精神科医和田秀樹氏のノウハウ本を買つて「人間の脳は三十五歳で一律に衰えるものではない。脳の使い方や栄養状態で記憶力の減退を先に延ばすことができる」という解答を得ることができました。

 
 この前も冷やりとしたのですが、昨年ミクシイという媒体と狭山市の老人大学で古典と哲学を講じておられるY先生にお薦めいただいたY先生が懇意にしておられるU先生の処女作『美と宗教の発見』(ちくま文芸文庫)を『日常の思想』(集英社文庫)と勘違いして買つてしまい、そのまま「この作品も読みやすそうで読みにくい」等とメイルで返信していたなど、「ここぞ」というところでの最後の一確認(過去のメイルを再読してみる)の足りなさを痛感しました。もつとも、この誤りは感激のあまり自己の歓びの世界にこもつていたい、という心境から事実を再確認することを怠つたのかもしれません。


  『日常の思想』(集英社文庫)という本は「仮手名忠臣蔵」を分析することから始まつています。私は京都にいたことはあるのですが、残念ながら南座には一度しか足を踏み入れたことがありません。冬だつたでしようか、何気なく四条大橋をわたると、いつもは15,000円から30,000円が相場で中年の女性がたむろする南座前が閑散としていて「白鷺」という女歌舞伎が1,000円で鑑れるということでしたので団体の修学旅行生と一緒に入場し鑑賞しました。たつた1,000円でこんな贅沢ができるのか、とその美しさに感服しました。


  さて『日常の思想』(集英社文庫)における「忠臣蔵」は、「絶望の状況において自分の悲しみを無化する笑い」、「被支配者、労働者側が怒りをもつて対抗する」、「江戸期の町人階級と武士階級の価値観の交差」にその妙があると語られています。たかが感想文ですが、こんなことを踏まえて考えなければならないのですから、芝居の「忠臣蔵」、「吉良と浅野のたたかいの要因は、赤穂と尾張の塩の利権争いにあつた」とする堺屋太一氏の「忠臣蔵」、「そんな説ちやんちやらおかしい」と一笑に付した小林信彦氏の「裏表忠臣蔵」もと考えて、一度頭を真つ白にしてみて時を忘却して元禄文化に浸ろうなどと勝手なことを考えています。私は赤穂の討ち入りは茶番で、吉良かと思えば大野九郎兵衛、加勢してくれたと思つた隣の旗本も正体見たり枯れ尾花とばかりに手のヒラを返す。内蔵助激怒して「これは幕府合議の謀りごと、かくなる上は京の朝廷のご裁定を」。「それならば」と地理の無案内を承知で京都の泉涌寺ではなく江戸の泉岳寺に手引きする旗本の卑怯。これではやりきれない。


 最初に戻つて記憶力について語りますと「たしかに三十五歳過ぎると、第一に何かやろうとしたことを動いているうちに忘れてしまう」あるいは「何か過去の残滓のようなものがときどき頭をよぎるのですが、それをとらえることができず何の残像だつたのか忘れてしまう」といつた症状が現れ始めました。もう私も年なのでしよう。

薄羽カゲロウ日記(長月五日)

h-imagine19722009-09-05

 ワタシは二十年前に一度だけ、三箇月ほど頭の中に何とも形容しがたい靄(もや)がこびり付き、日常のいとなみ、普段はなにも感じなかつた雑事をおこなうことも億劫になり、もつとも酷いときには動くことさえも厭(いと)わしく思うことがございました。このようなこころの状態は、無事に一生の大事をのりきることができた、と当人が思い込み、一息つく頃合を待つて襲いかかつてくるのではないかと密かに考えております。
 よく夕暮になるとなんともいへない寂寥感が重くのしかかつてきます。たまたま電話がありその孤独感をうつたへると、アルバイト先の兄ちやんが単純明快に「お前、腹へつとるんやないか」と言い、お萩を十箇ほど置いて急ぎ足で帰り、その後ワタシがそのお萩を涙ながらに食べるとたちどころに治つた、という経験があります。
 このような状態の時は自然とお風呂に入らなくなり、服装も着の身着のまま髪型はざんばらのまま外を歩くということで、甚だ周囲(まわり)の人に迷惑な存在となります。しかしながら、記憶というものは甚だおもしろいもので、何故か当人にとつて辛かつた時の思い出の方がその後、人生を振り返つてみた時に、楽しい思い出として刻まれているのですから、本当に不思議なものです。
 アパルトメントから歩いて五分くらいのところに医者がおり、そこを夕方おとづれることにすると急にその病院のシヤツターが閉まつたままになる。せつかく、秋風の寒風ふきすざぶなか外に出たのだからと、呼び出しを押して奥様に事情を聴きますと「院長が肝炎にかかつて入院された」とのこと。なんとなく自分の存在自体が害虫のように思えていたときなので、昔ある医者が薬の調合を間違えて患者を殺してしまつた罪悪感から自殺されたことを思い出し、もしや私を応診したことが先生の入院の遠因なのではないかと奇妙な思考が頭をよぎりました。
 やがて代診ということで、海外国際青年協力隊に参加しフイリピンから帰つてきたという先生がワタシの担当となりました。待合室で自分の順番を待つておりますと、ある老婆が「保険証なしで診察してくれんかね」と盛んにいうので代診の先生が自ら窓口に立ち、犬でも追い払うように老婆に「無理なものは無理だと言つているでしょう」と怒鳴りちらしました。私は国際医療のために働いてこられた先生の高い理想に反するのではないかと憤慨し、かつ先生の診療で何かされるのではないかと恐れましたが、何のことはない先生は「いいや。国際協力なんて青臭い理想でしかない」とくだらん過去だと吐き捨てるように言うと通常の治療を始めました。
 呆れたことにそのときは汚れた衣類を鞄につめ、神社の横にある下駄の鼻緒をつくる店に「クロネコ・ヤマト」の看板があつたので持ち込みますと、四畳一間の部屋に九十くらいのご老人が糸をよりながら忙しく仕事に打ち込んでおられ、荷物を頼みにきたとわかると、戸板で仕切られた次の間にいてご老人の仕事の次の工程を受け持つお婆さんに何事か告げると、宅配便の紙を持つて出てきて針金で鞄の取つ手を縛ります。ワタシは「これが私の求めていた究極の理想郷だ」と思い、その光景をいつまでも忘れられないでいます。
 それから十年後、もしかしたらこのご老人御夫婦が今も御存命かもしれないと思つて、その場所を訪ねますとある会社の倉庫のようなものに変わつており、冬色めいてきた季節にこじんまりと下駄と鼻緒をならべたシヨウケイスも跡形もなく消えておりました。

薄羽カゲロウ日記(長月三日)

h-imagine19722009-09-03

 午前2:30起床。テレビを鑑ないせいか昨日は午後8:30に寝る。夜が明けるまで、純文学とよばれる書物を読みこむ。7年前でしようか、眠れずに先のことを考えても仕方がないと一度買つてみたかつたセロハン付きの「芥川賞全集(十九巻)」を思い切つて購入。文章を一行一行をなめるように読んでみました。読み終わるとそれまで凝縮していた神経細胞が一気に弛緩するような読物と出会い「文学は我々の息吹を汲み上げて生きてくれている」と何か新しい世界を発見したようなよろこびが身体に走りました。
 最近は、失業にかこつけて昭和を肌で感じるべく、本多秋五氏、荒正人氏、平野謙氏とともに「近代文学」を創設した埴谷雄高氏の透明な随筆「雁と胡椒」(未来社)を読む。それと時を同じくして「芥川・直木賞受賞者総覧」(教育社)で受賞者一人一人の経歴と作品群を読み、昭和の空気を現出させそこに戻るべく努力する。郊外の静かな家の二階屋の一室でこのような無為な作業に明け暮れる私は遅ればせながら、非常に恵まれた時間をおくつているのではないか、と無収入の日々を慰めている次第です。
 村上龍氏の「希望の国エクソダス・取材ノート」(文藝春秋)を購入して8年目にして読む。冷静に考えてみれば、購入した当時にこの取材ノートを読んでいれば、あの頃あんなに悩まずに済んだのにと嘆息する。
 金子勝教授の「僕が一番怖いな、と思っているのはフリーターなんです。親の遺産をひきついで、それを処分して老人ホームに入る。家も何もなくなると生活保護で生きるのが一番楽なんですよ。そういうフリーライダーがどんどん出てくれば、生活保障制度なんて今考えられているよりはるか前につぶれちやいますよ。」
 村上龍氏「若者はこういつた老人を尊敬できないことなんですね。何で俺が介護しなきやなんないのかなつて思つちやうんです。彼らは老人に対してUBASUTEなんて組織をつくる。」
 私はいまフリーランサーなどと名乗つているが、こんな世の中がくれば年少者に「この、タダ乗り野郎」と罵倒され、「何かこいつ居るだけで腹立つねん。何かおもろいことしやべらんかつたら捨てるぞ。」と毎日脅迫めいた言葉でおどかされながら、煉獄の日々を送らねばならないこと受け合いである。そんなことにならないよう、年少者には「長幼の礼」だけは守るように、と若いうちから厳格に叩きこんでおこうとこころに誓つた。

薄羽カゲロウ日記(葉月二十一日)

h-imagine19722009-08-21

 午前5:00起床。午前7:00朝食を摂る。本日も読書に没頭するつもりです。これは少年期の頃からの体験ですが、なぜか夏に暑さをこらえて読んだ本は生涯、忘れがたいものになるからです。
 明朝、お亡くなりになられた松原泰道先生による「無常無我」のお話しを正坐にしてじつと耳を澄まして聴く。先生は「哲学と宗教は文字にすべからず」と「不立文字」を唱えておられましたが、浅学非才の私があえて文字に。
 当たり前だと笑われそうですが、ようやく「無常」につきましては「衆」の文字のイメージとなりました。人間というものは、そもそも言語や思想が異なり、さまざまな人々に説法してもその人々によつてそのとらえ方や印象が異なる。むかし斬新だつた印象も環境の変化によつて徐々にその感動があせてくる。当事者間の記憶も死んでしまえば無になつてしまう。
 われわれも同じ生活を続けていれば、お互いの思想や感情のさざめきも瞬時に把握できるようになり空しく、古人をしのぶために書物を読んでみても修行してみても、結局その人たちと同じ境遇や心境を味わえるとは限らない。これでは同じことの繰り返しではないか、と歎じる懐疑的な人物にお釈迦さまが「それでいいのだよ」という「慈悲」の言葉をおかけになります。
 「無我」につきましては、「慈」という文字のイメージとなりました。人間というものは、社会に出て何かに没頭すると好むと好まざるにつけ思考方法が異なつてきます。また、すれちがいがあり、ささいな感情のもつれから思想的な対立が起きて爆発します。しかしながら、その思考方法を転換させお互いがなにがしかの歩み寄りをおこなえば、他者のこころのなかにおおきなこころの転換が発生します。それは即時的なものかもしれなせんが、そこに至るまでの道程が長ければ長いほど深ければ深いほど、思想の方向性が異なればことなるほど、その瞬間の感動は一生お互いの記憶に刻み込まれることでしよう。
 泰道師は、ガダルカナル島の慰霊祭で経文をあげた後、焼いた紙きれが宙を舞い、そのまま地上に落ちてこなかつたことを語り、お互いの境遇をしのぶことはできないけれどもなにがしかの拍子にお互いのこころが通じあつたのではないか、という思い出を印象深く語つておられました。
 『私の愛した小説』(遠藤周作著:新潮文庫)、『サイレント・マイノリテイ』(塩野七生著:新潮文庫)、『英文学入門』(福原麟太郎著:河出文庫)、『芥川賞の研究』(みき書房)、『明治思想史』(高坂正顕著:燈影舎)を濫読中。過日読みました『おどるでく』(室井光広作)の内容やその状況、キリル文字と東北弁の言葉の妙がいまいちよく把握できないので再読中。
 

薄羽カゲロウ日記(葉月七日)

 午前5:00起床。午前7:00朝食を摂る。本日はひたすら読書に没頭。「死に至る病とは、生きることも死ぬこともできない状態である」という哲学の大御所木田元先生の著書に掲載されたきるキルケゴールの言葉に激しく反応する。
 三十路に入り、嫁も子供もおらず、私は一人山深い社員寮に残る。先のことを考えると懊悩し、苦悩のあまり寝つくことが出来ない。仕方なく午前3:00、傍らにあるラジオでNHKのラジオ深夜便を付ける。「こころの時代」という番組にご出演なさつていた五木寛之氏の青春譚を聴く。「私が早稲田大学露西亜文学科を出まして、はかない夢がございまして、それは神保町界隈に古本屋さんを持つことでした」。聴きながら何て謙虚で密やかな夢だろう、とため息をついた。
 「近代に入つて人間はアリストテレスのいう“善き生”ではなく“生きることそれ自体”を主題とする時代に入りました」自分の三十年の人生を顧(かえり)みてみる。「お前は本当に何がしたかつたのか」と自問自答してみる。人生流されるまま生きてきて、自分なりの苦悩を明瞭な言葉で言い表せない、もつと人と語らいたいが自由も時間もない、心の傷ゆえに語れない、自らの言葉を受け止めてくれる他人がいない。
 そんな時、アンナ・ハレントの言葉が。
  私たちは、過去を取り消すことができないようにそれを克服することはできません。しかし、過去に堪えることはできます。
 その形は悲哀、あらゆる想起が惹き起す悲哀です。・・・・・・・過去の出来事の意味がなおも生きつづけているかぎりーその意味は非常に長く残りつづけることもあります。―、「過去の克服」は、たえず繰り返される物語りという形をとるならば、ありえないわけではありません。・・・・・・・私たちもまた(詩人や歴史家と同様に)自らの生にとつて大切な出来事を自らにまた他者たちに関係づけながら想い起す必要をいだいています。
こうして私たちは人間のポテンシャリティとしての、最も広い意味での「詩作」への途をたえず用意しているのです。
 ようやく人生が三度循環し、落ち着いて世の中を見ることが出来るようになつてきたような気がします。閉塞した時代の答えを求めて「アレント」(川崎修著:講談社)、「博士の愛した数式」(小川洋子著:新潮文庫)を併読中。


(引用抜粋:『公共性』(齋藤純一著:岩波文庫

薄羽カゲロウ日記(文月十五日)

 午前4:00起床。午前7:00、京都行の普通に乗り神戸駅で降りる(応復700円也)。もう、神戸に宮崎辰雄知事のもと神戸株式会社と呼ばれた頃の昔日の面影はありません。阪神大震災で地盤が崩壊し多数の死傷者が出て、大阪に関西新空港が出来てからは、外国人が関西新空港に近い難波OCAT付近に移住したらしく街を歩けば三割くらいはいたであろう白人、イスラム人、黒人の姿とともに洋品雑貨店や洋書を扱う丸善も消してしまいました。
 子供の頃、琵琶湖がすっぽりとぬけおちたところに淡路島が当てはまる(しかし琵琶湖と淡路島は対称を保っている)ことが不思議でなりませんでした。悠久の歴史のなかで大陸移動が起こり、十三世紀の頃には葦が生い茂る沼地であった摂津の国をどのように淡路島が移動していたのか、播磨の国を通っていったのか二つの説があり、よく分かりませんでした。十四年前の阪神大震災、六年前の円山川の氾濫で兵庫県の地盤は緩い、ということが残念ながら証明されてしまいました。
 「知性が感じられない」「とても文学愛好家とは呼べない」という文学仲間の批判に応えて□□□書店に。大手□□□□□書店とは一味違った品揃え。所謂売れ筋商品でなく滅多に売れない筈の蔵書をところどころに入れイメージ的には「渋い」品揃え。新書は大手□□□□□書店と異なるものを置き、あるコーナーは学校推奨図書を揃える。古書□□書房に。この書店も滅多に売れない赤茶けた学術全集を置き、ところどころに昭和四十年代に話題となった本。そして写真集。ある名著らしき本の初版本を安価で購入(600円也)。ここは古書□□□□書店より年代が古いものが置いてある。絵画商□□□□で池野史明氏の湖の彼方に見える緑林。わずかに見える梅か桜かわからぬ花弁らしき白を散らしている。単純な構図のように見えますが、水面に映る森林の影、暗い林に対抗して枝を伸ばそうとする光のある明るい林。ここに作者の微かな欲望が見え隠れします。大手□□□□□書店。昨年あたりから大きく品揃えを換えた。ビジネス・経済関係書のコーナーは縮小し四階に。ハード・カヴァーの新刊本が減り文庫本の新刊が目立ちます。図書も円熟の時代に。購買層が退職した団塊の余裕のある世代に移り、ささいな購買層の変化が見逃せなくなった。おそらく団塊の世代の方はこういうでしょう。
「そんなに読むわけじやないからさ、他の仲間と遊んでいる方が楽しいんでね。」
古書□□□□書店に行くと買いたいがとても出ない全集が目白押し。そういえば先日、□□市立図書館に行くと無理に引き取ってもらった宮城谷昌光氏の「三国志」(初版本)の二巻から五巻までがそのまま並べてあつた。さぞや、ご迷惑なことだつたろう。

薄羽カゲロウ日記(水無月ニ十七日)

午前8:00起床。本日は河野義行氏の冤罪事件発生から十五周年の日だという。午前8:30新快速□□行の新快速列車に乗る(190円也)。□□で降り、午前9:30□□□□図書館の自習室南で「静止した時間」の構想を練る。「兵庫県歴史の謎」の□□編を複写(170円也)返却する。午前11:30図書館を出て□□商店街に。□□武集堂へ行く。再び図書館に帰り400字詰原稿用紙5枚を仕上げて去る。再び□□武集堂へ行き手ぬぐいを買う(525円也)。コインロツカーに手荷物を置く(300円也)。
午後1:30新快速野洲行で□□□に(380円也)。古本屋□□□□書店へ。六年前は店頭にもつとたくさんの廉価本がならんでいたという記憶がある。□□□□堂書店で「オウム帝国の正体」(一橋文哉著:新潮文庫)を買う(620円也)。再び□□までアーケード街を歩く。□□□□絵画店に立ち寄る。今日は休日なので真打が登場する。231,000円の池野史明氏の水彩画が良い。こころが癒される。再び古書店□□書房で品定め。□□□書店で「世代を超えて語り継ぎたい戦争文学」(佐高信澤地久枝著:岩波書店)を購入(1,700円也)実家に戻る(590円也)。