薄羽カゲロウ日記(葉月二十二日)

  午前三時三十分起床。昔の東京での出来事を時系列的に追つてみる。

 ニ〇〇〇年(平成十二年)四月頃、新宿西口で浮浪者が強制排除されるのをテレビで鑑た。
新宿中央公園に住む人々を軽蔑してはならない「森の哲人さん」と呼びましよう、と友人に教えられ、私たちの遠からぬ未来に思いをはせ、夕方とも夜ともつかない時間に闇とも木の陰とも判じかねる鬱蒼と茂る森と銀の鉄格子を見て悪寒が走ったのをよく覚えている。蛙が天から降ってくるという「マグノリア」という世紀末的な映画を観て、新大久保で魔女のような北欧の街娼をみた。


 ニ〇〇〇年(平成十二年)六月頃、休日に東京へ出掛けると多数の若い工事労働者が東京の外れの温泉場に雑魚寝している光景に出くわした。250円を払いコインロツカーの鍵をもらい貴重品を番台に預けて、温泉に浸かり、その後は自由にスクリーンに映し出されている映画を鑑賞しながら毛布を被り、大きな広場のカーペツトの上に寝転がつているのを見た。大勢の若者が自分と同じような境遇にあることを少しこころづよく思つたが、財布を番台に渡さなかつた私は万が一のことを考え、マツサージ室の方へ行きマツサージ席のベルトを締めて夜を明かすことにした。マツサージ室のスチール越しに腰をもんでいる女性の整体師の白い服を見て何ともいえない安堵感をおぼえた。夜が明けると、退館アナウンスが流れみなどこかへ散つていつた。


 二〇〇一年(平成十三年)十月、ある面接の帰りに友人と会う。
さんざん論破されて何も話せず一次会で退散したが、この後なんともいえない焦燥感を感じてカードで割引のきくホテルに泊まろうとしたがそんなホテルはなく、しぶしぶタクシー代を四千円払つて一万円で泊まれるホテルに落ち着く。フトこんな値段のホテルに泊まれるのはもう金輪際ありえないだろうと思つた。


 再び新宿西口駅地下道の浮浪者の全面強制排除。夕方に新宿中央公園をのぞくとクリステイアンらしき女性が聖書を片手に炊き出しをしているのを見て安心した。説教もそぞろに巨大な釜の周囲に男たちが碗を抱えて黒山の人だかり。その後、一度だけ七千円の東京のあるホテルに泊まることが出来た。


 あの頃と今を比較してみると、いつかは強風に流されるであろう都会での自分と、根つこが地面に食い込み動きがとれない現在とどちらが良いかは私にとっては自明のことである。