薄羽カゲロウ日記(睦月二十一日)

 「人間だつたらよかつたのにね」


 農村に住まう農家の年老いた夫婦らしき旦那が、一人息子を都会の会社にやるための代わりの働き手として大きなホルスタインの牛を会社からもらい、牛に対してこう呟く。平成の初期に大賞をとつたコマーシャルですが、ここには反語として「なんで息子はわたすたち家族と一緒に暮らさなんで、あがいな都会に残ろうとするのかね」という両親のつぶやきがあつたと思います。


 私が田舎の工場に奉職していちばん衝撃を受けたのは、本社から自動車でニ時間くらいのところにあつた□□町という工場に在庫整理で係長と一緒に行つた時のことです。付近は草原と田畑が散在するくらいで、なにもありません。その時、


 「ここで市役所の空きができるとな、すぐみんな大学止めて公務員試験を受けにくんねん。あつと言う間に定員が埋まるわ」


 と、言われました。おそらく生まれ育つたこの田畑しかない交通の便が悪い土地に一生公務員として身を捧げ、結婚などの人生の選択のときにも高校時代一緒だつた誰々さんがそろそろ嫁入りなどという、という両親と地域の予定調和の人生を歩まされのだと思います。私はむかしから町とも田舎ともいえない郊外の住宅地に住んで、社会人になつたら広告編集者の天野祐吉氏が言うところのカタギとフリーランスの中間の「ハンフリー族」(=つまりはサラリーマンでありながら趣味を大切にするような)になりたいと思いながら、ヘンリー・D・ソローという人の『森の生活』(ただしこの本難解なので七年間積みつぱなしである)はのような生活を持てれば、と秘かに思案していました。



 当時の私は年齢は30近く。おそらくサラリーマンの皆さんは私のようなとしになる前に(牛の寿命が尽きるか尽きないころに)、都市型の自由気侭な人間関係と生活習慣(=浮草人生)をすてるか、組織と地域が一体の予定調和的な大人の選択をされていたことでしよう。



 こういつた選択を先に先にのばすうちに、30の後半になつてスッテンテンになつてしまいました。この「田舎とも都会ともつかぬ場所に住まう変わり者」と「ほんとうに仲間さなるか、わかるまで適当にねかせておよがせとくべい」という組織の慣習。この狭間でわたしは10年以上、私はおよがされて適当にあしらわれています。