薄羽カゲロウ日記(睦月二十日)

h-imagine19722010-01-20

 平日に普段の服装で出歩いても違和感がなくなつてきました。


 8年前ですが、会社から休暇をもらつて岡山を訪れ、商店街を歩いていると、私と同年代の人は当然のように仕事で背広姿で歩いている。普段の服装で歩いているのは若い学生風の男か主婦か六十過ぎたご老人ばかり。案外、アーケード街が広く立派なので、午前中は人波から逃れるように映画館で時間をつぶしました。


 その後、ビジネスホテルで久しぶりに読書でも、と思つたのですが、30近くなつてなんとも色気のない旅行だなあと思い立ち、夜の街に出ました。


 すると、その日は衆議院選の前日で、市内は自民党逢沢一郎候補と民主党菅源太郎候補の二世対決の真つ最中で、街宣車が何度も市内をまわつては候補者の名前を連呼している。田原総一郎氏曰く「選挙をやると気分が高揚してセクスがしたくて堪らなくなる」らしいのですが、その通り街はお祭りのような気分がただよい、どさくさに紛れて、ピンクサロン業者の街宣車までがサンタクロースの格好をして冷たい目をしながら電話番号とピンクサロンの店舗の名前を連呼して何度も市内を循環している。歩いていると、何度も何度も候補者の応援の街宣車ピンクサロン街宣車がその名前を連呼するので「それじやあ」その店に行つてみようかと、街路樹の間の地図を頼りに行つてみる。


 すると案に相違して寂しい細い道の暗い路地でこれまた人生に悩んでいるような学生のような人が赤いチケツトを配つている。暗闇のなか席に座ると、年増の人生経験豊富な女性が愚痴を聞いてくれると思いきや、中学を出たばかりだという眼鼻立ちも整つていないような女の子が赤い長襦袢のようなものを着て出てくる。「エツ」という驚愕の視線を普段着のお兄ちやんに投げかけるのですが、その人によると「その子あんまり指名ないんです」。しかたがないので、住んでいるところや家庭環境を聞いたりしてなんだか家庭訪問のようになつて、こちらが人生相談に乗る方になつてしまう。女の子は後楽園という庭園の近くのアパートに住んでいるという、「家お金ないし。これが一番てつとりばやいと思つたんです」とのこと。こちらが自分の人生について語り出すといつの間にか時間が過ぎていて、お兄さんが「30分終了です」と声を掛けてくれる。「まあ、選挙中だし仕方ないか」、とホテルに帰りました。


 U先生の『美と宗教の発見』(集英社)が届く。これまでU先生の著作は10冊以上読んできましたが、こんどばかりはとても一筋縄で読めるような代物ではありません。Y先生によるとU先生は42歳まで哲学や国文学の学究として雌伏し、よく学問の間に大阪の寄席をよく観覧なさつていたとのこと。「よく寄席を鑑に来る学者くずれの男がいる」と評判をよび、それが縁で新聞社にコラムを頼まれたとか。



 「よくそんなことができるお金があるなあ」と非常に羨ましくなり、U先生の生い立ちを探ると、U先生のお父さんは東北大学工学部機械科の助手をしていたが、家計をやりくりするため水商売の世界に入る。しばらくは店舗を三件ほど経営していたが、その後、自動車産業を興そうとしていたトヨタに当時は海のものとも山ものともわからなかつた自動車の基礎技術の開発者として引き抜かれたといいますから、随分変わつたお父さんだと思いました。(『神殺しの日本』(朝日新聞社


 さまざまなものに関心を持ち、人生が三度まわつた時点でようやく文学や哲学に親しめるようになつた私。また、仕事をするようになつてもこの姿勢だけは維持しておこうと思つています。